Hope in the darkness①
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こんばんは。
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学生最後の試験を明後日に控えている日向です。
この4年間の試験期間の中で間違いなく
1番勉強していません。笑
教科書、手書きノート持ち込み可で
殆どノートが完成しているので
前日となる明日の夜に詰め直して
しっかり単位を取って来たいと思います。
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勉強のお供はこれ。
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ポッキー。
ポッキーは勉強する時に
必ずと言っていいほど食べています。
ポッキーを食べながら勉強をするのは高校生からの習慣で
未だに変わっていないですね。笑
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さて。
昨日、嵐が2020年12月31日をもって
グループの活動を休止する、と報道されました。
嵐は私にとってとても大切なグループです。
というのは。
私が人生における大きな選択をする場面で
いつも彼らの曲を聴いていたからです。
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中学受験
留学参加の選考試験
大学受験
就活
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これら全て私の人生における大切なイベントの中で
いつも私のことを励ましてくれていたのが
彼らの曲でした。
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この中で特に、
大学受験について書いてみたいと思います。
(長くなりそうなので前・後編に分けます。)
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私の大学受験期は一言でいうと
波乱
という単語がしっくりくる気がします。
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まず、受験について書く前に
私は高校3年生の11月頃から卒業まで
学校に行っていません、ということを書いておきます。
不登校とかではなく
(クラスも大嫌いでしたが、笑)
生まれて初めて
身体が言うことを聞いてくれないという体験をしました。
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事の発端は高校2年生の夏。
留学先で腰痛が発症しました。
寝違えたかな、
まあ放っておけば治るでしょう、と安易に考えていましたが
帰国するまで1か月程全く治まる気配はなく
腰に違和感を覚えながら生活していました。
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帰国してから病院に行くと
椎間板症だと診断されました。
(ヘルニアの一歩手前のようなものですね。)
症状は寒くなるほど悪化していきました。
しかし、春先になり暖かくなってくると
かなり症状も和らぎ
治ったかな...と思えるほどでした。
しかし、さらに症状は悪化していきます。
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高校3年生の後期。
文化祭を終え、
クラスの大半が推薦で進路決定し出した11月頃。
「あれ......動けない」
ある朝、腰に強い痛み、そして左脚に強い痺れを感じ
ベッドから起き上がれなくなりました。
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この年も寒くなって来た頃に
腰に違和感があったのでまた痛むかな、と薄々感じてはいましたが
明らかにそれまでとは違う痛みに怖くなったのをよく覚えています。
同じ家にいる母にLINEで
「動けない。学校休む。」と送るとすぐに母は部屋まで来てくれました。
高校3年生の
ましてや受験生の私がサボりでそんなことを言うとは思わず
母はその場で仕事の休みを取り
病院へと連れて行ってくれました。
この時、移動は壁を伝ってやっと、という感じでした。
着替えもできないのでとりあえずジャージにパーカー。笑
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病院につくとまず
レントゲンを撮られました。
結果。
椎間板症であった昨年よりも明らかに悪化している。
とのこと。
後日、MRIを撮ることになりました。
MRIなんて高校生の歳で撮る人、
そんなにいないじゃないですか。
私は病院が大嫌いなので
内心パニック......笑
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そしてMRIの結果を聞きに行くと。
「椎間板ヘルニア」だと診断されました。
当時の私にも分かりやすいように主治医の先生が説明してくれたように書くと
背中の太い骨に対してほぼ垂直に軟骨があり、
その2~3番目と3~4番目の間の神経に
それぞれ軟骨(椎骨というらしいです)が突出して刺さっているため、
左脚に痺れがきたり腰に強い痛みが走ったりしていたらしいのです。
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私の場合は、
生まれつきの骨格があまりよろしくなく
いつ発症してもおかしくはなかったそうですが
幼いころから運動が好きで
自然と椎骨の突出を腰回りの筋肉がクッションとなりカバーしていたため
高校3年生(正確には2年生)まで発症が遅れたそうです。
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この診断を受けたのが
11月中旬だった、ということは
私は周りの受験生が追い込みに入る時期に
普段の生活も満足にできなくなったことになります。
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当時は絶望しました。
私は何となく
「学年をずらさず進んでいきたい」
と思っていたので、それが叶わなくなることが怖かったです。
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ヘルニアには
ブロック注射
手術
など、様々な治療法があります。
しかし、私は元の骨格と年齢もあり
手術も注射もできないと言われてしまいました。
コルセットをつけて固定すること
痛み止めを飲むこと
少しずつストレッチすること
電気を流して筋肉をほぐすこと
この4つが主な緩和法でした。
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この痛み止めというのがまあ強くて。
ステロイドという成分が入っており、
強い鎮痛作用がありますが
その分副作用が本当にきつかったです。
副作用として
強い眠気、ムーンフェイス、吐き気、便秘などがありました。
ちなみにこのステロイドという成分は
がん患者への鎮痛剤として使用されているのと同じものです。
これ聞くと少しイメージしやすいかな、と思います。
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さて、薬と電気治療を始めた私ですが
受験生に病院に行ってぼーっと電気を流されている時間も余裕もないわけです。
薬を飲むと強い眠気が襲ってきて
1日に数時間しか起床していないなんてこともありました。
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当時の私の勉強の状況はというと
国語、英語に関しては偏差値もそれなりにあって
志望校も十分狙える位置にありましたが
問題は世界史。
とにかく私は暗記科目が苦手で
世界史の偏差値は良くて50に乗るか乗らないかというところ...笑
悪すぎやろ。
そんなわけで、まだまだ勉強不足、
寝ている暇なんてなかったのです。
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ヘルニアの痛みは予想以上に酷く
腰を鋭い刃物
んー、錐が分かりやすいかな...
それでズンズン突き刺されているような
それに加えて左脚は正座を長時間していたあとの痺れ
あの、くすぐったいようなゾクゾクするような嫌な感じです
それがずっと残っているような
そんな感覚がずっとしていました。
移動は這う。
生活拠点は自室からリビングへ。
階段が上れなかったためです。
とにかく、そんな酷いものでした。
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通学に1時間以上かかる高校へなんて
とても通える状態ではありませんでした。
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薬を飲んでから副作用が出るまでの数時間が私にとっての勝負。
苦手な世界史を徹底的にやっていましたが
中々伸びず、
それでもやらざるを得なかったので
相当苦しみました。
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こんな生活を長く続けていると
心が荒みます。
成績が伸びない苛立ち
言うことを聞いてくれない身体
過ぎていく時間への焦燥感
全てが嫌になって
身体を取り換えるために死にたい
人生をやり直したいと考えることもありました。
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そう思う背景にごくたまに行くことができた学校での出来事も関係しています。
私は月1~2ペースで学校に溜まりに溜まった配布物を取りに行ったり
休日の模試受験は薬を飲んで行っていました。
そこで、私の状況をよく知らないクラスメイトに
「日向は受験のために学校をずる休みしている」
と陰で言われていたことを知ってしまったのです。
しかも、そのクラスメイト達は
指定校推薦で既に進路が決定しているのに。
余計に学校から足が遠ざかりました。
(ちなみに「空白の7年間」で書いていた友人は同じクラスでしたが
私がここまで苦しんでいたことを知りません。)
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母にはこの時期本当に辛く当たっていました。
大学に進学していない母が母なりに私を応援し、励ましていてくれたのに対して
「分からないくせに無責任なこと言わないで」と言ったり
作ってくれていたご飯を食べずに捨てたりしたこともあります。
当時は自分のことで精一杯で
周りの見知らぬ沢山のライバルが
自分が寝ている間に成績を伸ばしていくことが怖くて
身近なストレスの捌け口に母を使っていました。
今思い出すと申し訳なさ過ぎて涙が出るほど
それほど私の態度は酷いものでした。
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それでもずっと私を見放さず
1番側で支えていてくれた母に一生頭が上がりません。
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今まで書いてきた通り、
受験期は私にとって人生で1、2を争うほど辛い時期でした。
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そんな中で私を励ましてくれていた中に
嵐の存在があります。
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記事が凄いボリュームになってきたので
次の記事へパスしたいと思います。
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♥Hinata♥