non-fiction
.
.
(さて、どうするものか)
そんなことを考えながら、目の前の診断書に目を通す。
.
――腰椎分離症。
まさか、ね。
こんなことが自分の身に起こるだなんて。
こんなはずじゃ、なかったんだけどな。
.
.
「うわ、間に合うかな」
腕時計とにらめっこしながら小雨の降る街を足早に進む。
次のアポイントの開始時間は約10分後。
前の商談が長引いて慌てて前のお客さん先を出てきたのが大体20分前。
運悪くバスが遅れてきたため、降車して数百メートル先の目的地までこうして慌てて歩いている。
履き慣れた筈の4センチのヒール。
踵が地面から数センチ上がるだけで水膨れが出来るだなんて。
部活動をしたって、遠足で数十キロ歩いたって筋肉痛になるだけで済んでいた学生時代とは違い、社会人の私の足は弱い。
「マナーとは言えこんな足じゃロクに営業なんて出来ないっつの!」
思わず漏れた不満を慌てて飲み込み、手元の社用スマホに表示された地図を頼りに目的地のビルを探す。
「…あ、ここか」
〇△ビル。
ここが本日最後の営業先。
.
.
「はあ~疲れた…ただいま…」
「お帰り~どうだった?」
「まあ4:1でネタかな」
「おお、流石ですねえ」
帰社してすぐ目の前のデスクに座ってPCをいじる同期と他愛もない会話を交わす。
営業部に配属されて早1か月。
一人で外出するようになり、お客さんとも少しずつ対等に話が出来るようになってきた。
「ん~~~」
「腰?」
「うん…なんか最近おかしくてさあ」
「え…早めに病院行った方がいいんじゃないの?」
「今週末に実家帰るからかかりつけ行くつもり」
「そっか…お大事にね」
.
私は元から腰が良くない。
支えになっていた筋肉が落ちてきてヘルニア発症したのが5年前。
大学生の時は徐々に緩和して、痛みが出ることは殆ど無くなっていた。
しかし、社会人になり外回りをするようになってからというもの。
.
(これは”そう”だよなあ…)
あの独特の痺れを伴う痛みが、再び私の身体に出るようになった。
学生ならば休んでしまえば回復を待つことが出来る。
しかし、社会人となるとそうはいかない。
これはまずいな。
そう思いながら痛みを誤魔化すように大きく伸びてPCに向かった。
.
.
「は~~今日も頑張りました、私…」
そう呟きながらベッドにダイブする。
ここ最近、睡眠欲が食欲に勝り、食べずに寝ることが増えた。
体重もみるみる内に右肩下がりに。
営業ダイエット、なんて。
.
心のどこかではわかっている。
私は、ストレスを抱えるとご飯が喉を通らなくなる。
営業は嫌いだ。
苦手で、不得意。
今すぐにでも辞めたい気持ちはある。
しかし、プライドが邪魔をしてそれを許さない。
そして、将来的な不安。
新卒でキャリアの無い私が次、どこで雇ってもらえるのか?
「今は耐えるべし、私…」
.
.
「痛い痛い…」
「うわ、どうした?そんな足引きずって」
「歩いてたら足の裏の豆踏んでぶしゅってなりました」
「いてえ!!帰ったら手当しなよ」
「何かもう痛すぎて動けません…会社泊まる…」
「ばか、金曜日だぞ、早く帰って酒でも飲むんだ」
「はあい」
週3外出の最終日。
とうとう限界を迎えた私の足は椅子に座って地に足をつけずともズキズキと脈を打つように痛んでいた。
パンプスの中がどうなっているかなんて確認する気も失せている。
今回は何枚足の爪の色が変わっていることやら。
いっそのこと目立たないように紫のペディキュアでも塗ろうかな。
.
事務処理を終えて会社を出た21:30。
「お~今日は早い…」
痛みで中々進まない足を無理に引きずって歩く。
.
ピロン。
.
同期からのLINE。
「軽く飲んで帰らない?」
明日の朝早く実家に帰るから今日はパス、と。
返信をしてスマホを閉じ、一つため息をつく。
ああ、家が遠い。
.
.
家に帰ると、まず傷口の様子を見るため床に座った。
「うわ…酷いわ…」
足の裏は水膨れが爆ぜた後にさらに水膨れが重なっていた。
「とりあえず消毒して絆創膏だな」
消毒液を垂らすと激痛が走る。
「ッ!!」
痛さに視界がぼやける。
「本当、何してんだろ…」
足の裏のマメ、変色した爪に痛む腰、さらには鞄で擦れたからであろう肩と腕にできた内出血。
自分の身体が可哀そうだわこれは。
鏡を見て自分の身体を確認しながら泣けてくる。
こんなになるためにここに入社したわけじゃない。
.
.
「久しぶり~…って、あんた歩き方…」
「いやあ、足の裏のマメ踏んだら痛くて、まともに歩けないんだよね…はは…」
駅まで迎えに来てくれた母の顔を見るなり泣きだしたい衝動に駆られる。
声より先に涙が出そうで相槌を打つのに必死になる。
「とりあえず病院行って腰、診てもらおう」
「うん」
.
.
そして冒頭に戻る。
下された診断は第五腰椎分離症。
一言で言うと、腰が疲労骨折している状態である。
このまま今の仕事を続けると悪化して「すべり症」になり、最悪の場合腰の骨をボルトで留める手術を受けなくてはいけなくなるそうだ。
.
「これ…今までのヘルニアとは違うんですか?」
「うん、これはねヘルニア関係ないよ、新しく発症した感じやね」
少し関西弁の混じった私の主治医。
久しぶりやん!おお、オカンに似てきたんちゃう?とフレンドリーに話しかけてきた先生の顔は、レントゲンの写真を明かりに透かした瞬間少し曇った。
「足の裏のマメってのは?」
問診表を見ながら聞く先生に、あ、仕事で歩いてたら潰れちゃって…というと見せて、と一言。
黙って靴下を脱ぎ、おずおずと先生に足の裏を見せると、先生は一瞬眉を顰めた。
「お母さん、僕は過保護だからね、自分の娘が足の裏こんなんにして腰疲労骨折してたら即刻仕事辞めさせるよ」
「うわ、これは初めて見た…酷いね…」
「ねえ、東京楽しい?」
仕事を辞めさせるよ、という親目線の言葉に思わず我慢していたものが漏れる。
「…楽しく、無いです…ッ」
「こっち帰ってきたら?いい場所よ?」
「帰りたいけど、将来がない…」
「そんなんまだ若いんやからいくらでもあるやん、自分の身体壊してまですることやないよ」
「……」
「ちょっとゆっくり考えてみ?辞めるの無理やったらせめて仕事内容変えてもらうとか」
「……はい…」
.
.
「…今の仕事、どんな感じなの?」
「…外回りは基本5件行ってる…駅から遠いところあるし、バスもないところは歩くしかなくて」
「荷物は重いの?」
「うーん…5キロくらいかな」
「5キロ!?」
「でもこれ、普通だし、うちだと」
「それは腰壊すわ…」
.
.
実家に帰ると検査結果を見ながらソファに寝転ぶ。
どうすればいいのこれから…
手は数個。
.
営業の数を減らしてもらう?
―いや、無理だ。営業の会社でそれは許されない。それに、数を減らして貰えたとしても腰に負担をかけることはできない…
.
では内勤に変えてもらう?
―先輩方は自分がやりたいことにたいして配属希望を出しているが叶わず辞めている現実。新卒の私が言って通るとは到底思えないが、この際手段は選べない。
.
…転職…するか…?
―これは最悪のパターンで、かつ一番ありえそうだな。第二新卒という言葉が適用できる内に、また腰が爆発する前にするならしないと、本当に手遅れになってしまう…
.
.
どうすればいいのだろう。
.
.
将来が、目の前が真っ暗になった。